MBS毎日放送の夕方のニュース番組「VOICE」で特集されました。
2017年8月7日、第二回目の署名提出を行いました。下記は当会代表工藤良任(般若寺住職)のコメントです。
この度の奈良市長から表明された浄瑠璃寺横へのゴミ焼却施設移転計画を断念するとの英断を歓迎します。全国の浄瑠璃寺ファンの皆様のご署名の賜物と守る会一同と共に感謝いたします。移転計画断念が確定するまでは守る会としては署名運動を継続しますので皆様のご協力お願いします。
京都府木津川市当尾にある浄瑠璃寺は、平安時代に広まり京都にも多く造られた九品仏が現存する全国唯一の貴重な寺院で、九体阿弥陀仏と本堂はともに国宝です。現在奈良市は、京都府木津川市との市境に接する、中ノ川と東鳴川にまたがる山林に、新しいごみ焼却場の建設を計画していますが、浄瑠璃寺からごみ焼却場建設候補地までは、市境を挟み、最短で南にわずか380mしかありません。そのため、現候補地にごみ焼却場が建設されると、その高い煙突が国の特別名勝に指定されている浄瑠璃寺浄土庭園の景観を損ねることや、36万人分の大量のごみを焼いて出る排気ガスが、千年近い時を重ねて材質がもろくなっている文化財に対し、継続的なダメージを与えることが、懸念されます。
加えて建設候補地には実範上人開基の中川寺跡が含まれています。実範上人は自ら開いた中川寺を拠点として南都仏教の戒律復興に努め、唐招提寺を再興し、東大寺戒壇院受戒式を定めました。また中川寺は南山進流声明発祥の地としても知られます。この地にごみ焼却場が建設されれば、その造成工事によって、谷の両側に何段にもわたって残るかつての堂宇の跡が、中川寺から浄瑠璃寺を結んでいた古道ともに、完全に失われます。浄瑠璃寺や中川寺、岩船寺などが次々に開かれた、中ノ川から当尾にかけての地域は、奈良にとっていわば奥之院のような聖地です。奈良市が現候補地を選んだのは、最悪の選択です。
以上のことから、私たちは奈良市に対し、「先祖たちの心を次代に伝承することは、奈良市民にとつて大切な責務である」と謳う奈良市文化財保護条例の尊い精神に則り、現計画を直ちに撤回して、奈良市の新しいごみ焼却場「クリーンセンター」を浄瑠璃寺近接地に建設しないことを強く求めます。
また、奈良市が木津川市など近隣市町村と連携して、市境周辺の文化財保全に努め、市境周辺の文化財を愛するすべての人々とともに、この地域をもりたてていくことを望みます。
奈良県の遺跡情報地図で中川寺跡とされているのは、実範上人御廟塔周辺の弥勒院、東福(東北院がなまったものか)、地蔵院、清浄院といった、中川寺の子院に由来する小字の一帯に限られています。奈良市クリーンセンターの最終候補地は、遺跡指定されている区画を避けて設定されていますが、これまで中川寺跡についてくわしく調査されたことはなく、現在のところ遺跡の範囲は確定されていません。奈良市文化財課に問い合わせたところ、奈良市クリーンセンター候補地を選定するにあたって、現候補地を踏査したりはしていないとのことです。
実は、実範上人御廟塔のある谷の奥には、南北に延びる谷を挟んだ東西の斜面に、数段にわたってつくられた四角い平坦地がいくつも残っており、地元ではそれらが中川寺跡だと伝わっています。また古い航空写真を見ると、谷底に広がる水田の区画にも、かつてのお寺のなごりが見て取れます。
今まで一度も調査されていないため、谷に残る四角い平坦地が中川寺跡と学術的に確定しているわけではありませんが、このまま現計画が進められれば、地元で中川寺跡と言われている場所が、短期間の調査のみで破壊されてしまうでしょう。
中川寺は天永3年(1112年)頃、法相、天台、真言の道場として、実範上人により、中ノ川に開かれました。中川寺は南都仏教の戒律復興を先導し、その教学は当時の仏教界に大きな影響を与えました。
たとえば、高野山に伝わる声明「南山進流声明」は、元は中川寺が本拠でした。「進流」の名は、実範上人の弟子で声明に優れていた宗観(大進上人)にちなみ、中川寺の声明を「大進上人流」(進流)と呼んだことに由来します。中川寺は声明発祥の地でもあったのです。
ところが、応仁の乱の後、大和国の覇権をめぐって争いが続く中、文明13年(1481年)7月21日早朝、古市氏の軍勢が、対立する筒井氏と関係の深かった中川寺に向かい、本堂を残して一山をことごとく焼き払ってしまいます。中川寺はその後も再興されることなく衰微して、江戸時代には本堂、多宝塔、地蔵堂、鐘楼を残すのみとなりました。そして明治時代、中川寺は廃仏毀釈によって廃寺とされ、完全に破壊されます。このとき中川寺地蔵堂に祀られていた地蔵石仏も無惨に打ち壊されましたが、後に修復されて中ノ川辻堂に移され、今でも地域の人に大切にされています。
現在、中川寺のあった谷は雑木林と笹薮に覆われ、一見するだけではそこに往時の隆盛を感じとることはできません。しかしながら、谷をはさむ山中を歩くと、今なお階段状に連なった四角く整地された区画がいくつも残り、平安・鎌倉時代の壮麗な大寺院を偲ばせています。
画像は大和名所圖會添上郡二(p36)より中川寺の記述がある頁です。寛政3年(1791)のころ、中川寺は「なかがわでら」と発音されていたとわかります。
実範は、寛治3年(1089年)ごろ、藤原実頼の末流、藤原顕実の第四子として生まれ、興福寺で法相を、醍醐寺で真言を、比叡山横川で天台を学び、広く諸宗に出入りして研鑽に励みました。はじめ忍辱山円成寺にいましたが、仏に供える花を探して中ノ川に入ったとき、そこをただならぬ場所だと感じたため、天永3年(1112年)ごろ、中ノ川の地に、法相、真言、天台の道場として中川寺を開きました。また戒律の復興に勤め、唐招提寺を再興し、東大寺戒壇院受戒式を定めました。晩年は浄土教へも深い関心を寄せ光明山寺に移り、天養元年(1144年)9月10日入寂しました。実範は日本浄土教高祖6人の一人にも数えられています。写真は実範上人の御廟塔と伝わる五輪塔です。
平安時代末から鎌倉時代、浄瑠璃寺や中川寺、岩船寺などが次々と開かれた小田原一帯は、興福寺の「別所」であり、南都の大寺院に飽き足らなかった僧らが、小田原の静かな山中に隠遁して修行に励みました。
興福寺を出て小田原で修行した11世紀の僧、教懐は、晩年高野山で修法と真言念仏に励み、多くの僧に慕われて、高野山の地で「小田原聖」の名をもって呼ばれる集団を形成しました。教懐は高野聖の祖とされ、その草庵があった谷は今も小田原谷と呼ばれています。
中川寺を開いた実範上人、浄瑠璃寺の庭園を整備した恵信、笠置寺と海住山寺を再興し浄瑠璃寺とも関わりのあった貞慶上人、いずれの僧も興福寺出身です。
奈良市は今、奈良と関わりが深く、日本仏教史上たいへん重要な活動が行われた場所に、ごみ焼却場を建てようとしています。これは多数の世界遺産を擁する古都にふさわしい行いでしょうか。
各界の高名な先生方、著名な方々が、重みのあるコメントとともに呼びかけ人に加わってくださいました。賛同人も続々と増えています。建設候補地撤回を求める声が今後さらに大きく広がることを、私たちは確信しています。
浄瑠璃寺、岩船寺など五カ寺が提出した質問書への回答説明会において、奈良市は、「この地域が宗教、信仰、文化学術的に大切な地域であることは認識している」としたうえで、「候補地を選定する委員会に歴史や観光の専門家がいなかった」ことを認めながらも、「(計画策定)委員会の意見を尊重したい」として、最終候補地を見直す考えがない旨、回答しています。
奈良市ごみ焼却場の最終候補地を浄瑠璃寺南に決定した平成25年1月17日時点の奈良市クリーンセンター建設計画策定委員のみなさんは、下記の通りです。この方々が、木津川市にある浄瑠璃寺のすぐ南に、奈良市のごみ焼却場を建設することを決めました。奈良市はこの方々の決定を尊重したいとしています。
浄瑠璃寺南に奈良市ゴミ焼却場を建設する計画を進めている、平成27年6月現在の奈良市クリーンセンター建設計画策定委員のみなさんは、下記の通りです。
※上記委員の中に文化財や歴史の専門家はいません。
利便性の問題など奈良市民の観点から、同じく現候補地での奈良市のごみ焼却場建設移転計画見直しを求める署名が、奈良市内を中心に呼びかけられています。
現在木津川市内を中心に、いくつかのお店で、署名の配布・回収にご協力いただいています。浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会では、署名の配布・回収にご協力いただけるお店を、全国から募集しています。ご検討よろしくお願いいたします。
2015年の春、奈良市クリーンセンター建設計画策定委員会が再開され、「市は同協議会の理解を得て今秋にも環境影響評価に着手したい考え」と報じるニュースが流れました。
実際、2015年4月20日の第54回奈良市クリーンセンター建設計画策定委員会では、早急に計画を進めるよう求める渡邊信久委員長(大阪工業大学教授)、田中啓義副委員長(登大路総合法律事務所)らに対し、奈良市は次のような見通しを答えています。
目標は、今後数ヶ月以内に地元協議会を設立して頂くよう働きかけ、地元協議会の場で環境影響についての説明と環境調査のご理解を得た後、今年の秋頃に環境影響評価を実施していきたい。環境影響評価は約4年間かかるため、今年度中に環境影響評価を開始することができれば、平成32年度に工事を着工し、平成35年末に竣工できる予定である。
これを受け私たちは当初、遅くとも秋には署名を提出することを目標に据えてましたが、その後も「地元協議会」自体作られず、地元の反対が崩れなかったため、2015年秋に環境影響評価が行われることはありませんでした。とはいえ、奈良市と計画策定委員らはいまだ強気の姿勢を保っています。
その後年が明けてすぐ、2016年1月13日、当会が署名活動を開始して以降はじめて、奈良市クリーンセンター建設計画策定委員会(第55回/渡辺信久委員長/)が開かれ、奈良市より基本計画(案)が提示されました。このとき委員からは、予告なく基本計画(案)が提示されたことに対し、とまどいの声が多くあがったとのことです。
参考)奈良市クリーンセンター建設計画策定委員会
http://www.city.nara.lg.jp/www/contents/1354252307019/index.html
そこで私たちは、2016年2月15日に一回目の署名提出を行いました。次に奈良市クリーンセンター建設計画策定委員会が開かれる前に、早急にみなさまからお預かりした署名を奈良市に提出する必要があると考えたためです。本署名の存在を公にすることで、同委員会のほか奈良市議会での議論において、本署名の主張が参照されることを期待しています。
第一回署名提出については、MBS毎日放送の夕方のニュース番組「VOICE」で特集されました。公式サイトでその映像が配信されていますのでぜひごらんください。
奈良市はその後も現計画を堅持する姿勢を崩しませんでしたが、2017年7月9日に行われた奈良市長選挙において三選を果たした仲川市長が、2017年7月12日、三選後初の記者会見で、現候補地を断念する考えを表明しました。
私たちはこれを受け、仲川市長の英断を後押しし、現候補地断念を確実なものとするべく、2017年8月7日、奈良市に対し、1回目の署名提出以降に皆様からお預かりした署名を全て提出しました。なお、私たちは、今回の署名提出で本署名活動を終了することはありません。本署名活動は奈良市の現計画撤回が確実なものとなるまで継続いたします。
今後ともどうか奈良市クリーンセンターの動向をご注視ください。よろしくお願いいたします。
© 浄瑠璃寺と当尾の里をまもる会
浄瑠璃寺南に奈良市ゴミ焼却場を建設する現計画を撤回するよう求める署名の情報を発信しています。