堀辰雄
「浄瑠璃寺の春」
この春、僕はまえから一種の憧れをもっていた
そのなかでも一番印象ぶかかったのは、奈良へ
最初、僕たちはその何んの構えもない小さな門を寺の門だとは気づかずに危く其処を通りこしそうになった。その途端、その門の奥のほうの、一本の花ざかりの
なにもかもが思いがけなかった。――さっき、坂の下の一軒家のほとりで水菜を洗っていた一人の娘にたずねてみると、「
「なあんだ、ここが浄瑠璃寺らしいぞ。」僕は突然足をとめて、声をはずませながら言った。「ほら、あそこに塔が見える。」
「まあ本当に……」妻もすこし意外なような顔つきをしていた。
「なんだかちっともお寺みたいではないのね。」
「うん。」僕はそう返事ともつかずに言ったまま、桃やら桜やらまた松の木の間などを、その突きあたりに見える小さな門のほうに向って往った。何処かでまた七面鳥が啼いていた。
その小さな門の中へ、石段を二つ三つ上がって、はいりかけながら、「ああ、こんなところに馬酔木が咲いている。」と僕はその門のかたわらに、丁度その門と殆ど同じくらいの高さに伸びた一本の
「まあ、これがあなたの大好きな馬酔木の花?」妻もその灌木のそばに寄ってきながら、その細かな白い花を
どこか犯しがたい気品がある、それでいて、どうにでもしてそれを手折って、ちょっと人に見せたいような、いじらしい風情をした花だ。云わば、この花のそんなところが、花というものが今よりかずっと意味ぶかかった万葉びとたちに、ただ綺麗なだけならもっと他にもあるのに、それらのどの花にも増して、いたく愛せられていたのだ。――そんなことを自分の傍でもってさっきからいかにも無心そうに妻のしだしている手まさぐりから僕はふいと、思い出していた。
「何をいつまでもそうしているのだ。」僕はとうとうそう言いながら、妻を促した。
僕は再び言った。「おい、こっちにいい池があるから、来てごらん。」
「まあ、ずいぶん古そうな池ね。」妻はすぐついて来た。「あれはみんな睡蓮ですか?」
「そうらしいな。」そう僕はいい加減な返事をしながら、その池の向うに見えている
阿弥陀堂へ僕たちを案内してくれたのは、寺僧ではなく、その娘らしい、十六七の、ジャケット姿の少女だった。
うすぐらい堂のなかにずらりと並んでいる
「ずいぶん大きな柿の木ね。」妻の声がする。
「ほんまにええ柿の木やろ。」少女の返事はいかにも得意そうだ。
「何本あるのかしら? 一本、二本、三本……」
「みんなで七本だす。七本だすが、沢山に成りまっせ。九体寺の柿やいうてな、それを目あてに、人はんが大ぜいハイキングに来やはります。あてが一人で
「そうお。その時分、柿を食べにきたいわね。」
「ほんまに、秋にまたお出でなはれ。この頃は一番あきまへん。なあも無うて……」
「でも、いろんな花がさいていて。綺麗ね……」
「そうだす。いまはほんまに綺麗やろ。そやけれど、あこの
「そうだったの、それは悪かったわね。はやく往ってらっしゃいよ。」
「まあ、あとでもええわ。」
それから二人は急に黙ってしまっていた。
僕はそういう二人の話を耳にはさみながら、
僕は堂の扉を締めにいった少女と入れかわりに、妻のそばになんということもなしに立った
「もう、およろしいの?」
「ああ。」そう言いながら、僕はしばらくぼんやりと観仏に疲れた目を蓮池のほうへやっていた。
少女が堂の扉を締めおわって、大きな鍵を手にしながら、戻ってきたので、
「どうもありがとう。」と言って、さあ、もう少女を自由にさせてやろうと妻に目くばせをした。
「あこの塔も見なはんなら、御案内しまっせ。」少女は池の向うの、松林のなかに、いかにもさわやかに立っている三重塔のほうへ僕たちを促した。
「そうだな、ついでだから見せて貰おうか。」僕は答えた。「でも、君は用があるんなら、さきにその用をすましてきたらどうだい?」
「あとでもええことだす。」少女はもうその事はけろりとしているようだった。
そこで僕が先きに立って、その岸べには
僕はそういう彼女たちからすこし離れて歩いていたが、実によくしゃべる奴だなあとおもいながら、それにしてもまあ何んという平和な気分がこの小さな廃寺をとりまいているのだろうと、いまさらのようにそのあたりの風景を見まわしてみたりしていた。
傍らに花さいている
自然を超えんとして人間の意志したすべてのものが、長い歳月の間にほとんど廃亡に帰して、いまはそのわずかに残っているものも、そのもとの自然のうちに、そのものの一部に過ぎないかのように、
僕はそんな考えに
「ほんまになあ、しょむないとこでおまっせ。あてら、魚食うたことなんぞ、とんとおまへんな。
そんなことをまた寺の娘が妻を相手にしゃべりつづけているのが下の方から聞えてくる。――彼女たちはそうやって石段の下で立ち話をしたまま、いつまでたってもこちらに上がって来ようともしない。二人のうえには、何んとなく春めいた日ざしが一ぱいあたっている。僕だけひとり塔の陰にはいっているものだから、すこし寒い。どうも二人ともいい気もちそうに、話に夢中になって僕のことなんぞ忘れてしまっているかのようだ。が、こうして廃塔といっしょに、さっきからいくぶん
その夕がたのことである。その日、浄瑠璃寺から奈良坂を越えて帰ってきた僕たちは、そのまま東大寺の裏手に出て、三月堂をおとずれたのち、さんざん歩き疲れた足をひきずりながら、それでもせっかく此処まで来ているのだからと、
突然、妻がいった。
「なんだか、ここの馬酔木と、浄瑠璃寺にあったのとは、すこしちがうんじゃない? ここのは、こんなに真っ白だけれど、あそこのはもっと房が大きくて、うっすらと紅味を帯びていたわ。……」
「そうかなあ。僕にはおんなじにしか見えないが……」僕はすこし面倒くさそうに、妻が手ぐりよせているその一枝へ目をやっていたが、「そういえば、すこうし……」
そう言いかけながら、僕はそのときふいと、ひどく疲れて何もかもが妙にぼおっとしている心のうちに、きょうの昼つかた、浄瑠璃寺の小さな門のそばでしばらく妻と二人でその白い小さな花を手にとりあって見ていた自分たちの旅すがたを、何んだかそれがずっと昔の日の自分たちのことででもあるかのような、妙ななつかしさでもって、鮮やかに、
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- 底本
- 「昭和文学全集 第6巻」小学館 1988(昭和63)年6月1日初版第1刷発行
- 底本の親本
- 「堀辰雄全集 第3巻」筑摩書房 1977(昭和52)年11月30日初版第1刷発行
- 「浄瑠璃寺の春」初出
- 1943(昭和18)年6月号:「婦人公論」(「大和路・信濃路」の「浄瑠璃寺」として。)
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堀辰雄夫妻が歩いたと思われるルート。帰り道、東大寺の裏手から三月堂を回り、春日の森へ歩いたようです。転害門のことは書かれていませんが、あの門を見ればくぐりたくなるのではないかと思い、上図のようなルートを推定しました。この道についてくわしくお知りになりたい方は、下記ページをご覧ください(別サイトのページを開きます)。
関連情報
この作品について
堀辰雄のエッセイ「浄瑠璃寺の春」は、太平洋戦争のただ中にあった1943年(昭和18年)、「婦人公論」6月号に「大和路・信濃路」の「浄瑠璃寺」として掲載されたのが初出です。後に高校の国語の教科書に採用されたことで、美しいエッセイとして広く知られるようになりました。ある年代の人にとって、浄瑠璃寺に憧れをいだいたきっかけが、高校で読んだこのエッセイだったという話は、そう珍しくないようです。ちなみに、作品に登場するジャケット姿の少女は2018年12月に亡くなられましたが、少女の頃と変わらずおしゃべりが大好きなお婆さんだったそうです。